顕微授精のゴッドハンドと言われ、最大900人待ちになることもあった浅田の不妊治療。その技術をクリニック内で伝授し、浅田式の顕微授精として確立。現在、愛知を拠点に全国3カ所ある浅田レディースクリニックには、最先端の治療を求める不妊患者が後を絶たない。不妊治療のスペシャリストとして前進し続ける理事長、浅田義正が考える正しい不妊治療に叩き上げブランディングプロデューサー安藤竜二が迫る。
安藤竜二(以下安藤) まずは医師になった経緯から教えてください。
浅田理事長(以下浅田) 実は私はもともと医師になるつもりはなかったんですね。子どもの頃から図工が大好きな工作少年でしたので、大学でも理工学部に進みました。ところがその下宿先で出会った中には、大学に通いながら医学部をめざす友人たちがいて、彼らの影響もあって医師を目指すようになりました。そうして同級生からは3年遅れて名古屋大学医学部に進学し、27歳で医師になると救命救急を1年間経験した後に内科へ。そこでは患者の多くが高齢や末期がんの方でしたが、当時、日本の医療ではがんの告知をしておらず、病気のことを一切言えないのがつらかったですね。
安藤 病名を伝えず人の死を見届けるというのは大変な仕事ですね。
浅田 その中に今でも忘れられない患者さんがいます。16歳の若さで白血病で亡くなった女の子です。私が担当になった時にはすでに末期で、日に日に身体が弱っていましたが、本人はそれがなぜだか知らないんです。何を聞かれてもごまかすしかなく、医師として無力感を感じる日々。毎日2回ほど病室へ顔を見に行くのも次第につらくなっていきました。いよいよ彼女が最期を迎えた時、私がまず感じたのは悲しみよりも安堵だったんですね。やっと終わったとホッとしている自分に驚くとともに、嫌悪感を抱きました。この感覚はおかしいだろうと。内科を辞めるべきだと思いました。
安藤 産婦人科には自ら希望して異動されたのですか?
浅田 いいえ、以前に研修で大変お世話になった産婦人科の先生に声をかけていただいて異動することになりました。偶然の異動ではありますが、産婦人科医になって何よりも嬉しかったのは、患者さんに「おめでとう」と言える、患者さんの幸せを共に喜べるということ。その喜びは、自分が医師を目指した頃の気持ちを思い出させてくれました。その後、産婦人科医として2年半の勤務を終えて、名古屋大学の産婦人科医局へ戻って研究に従事。不妊治療の専門がいないという医局の都合もあって、不妊症の研究と更年期障害の研究も同時に行うことになりました。今思えば、この時に医師として何をやるべきか、何を目指すかということが固まってきたように思います。
浅田 大学で不妊症の研究と外来を続けるうちに、一生に一度は本格的な研究がしたい、それには大学を出て留学するのがいいと思うようになりました。そんなある日、フランスの生殖医療の第一人者であるジーン・コーエン博士が来日され、名古屋大学で講演会が開かれました。コーエン博士からのアドバイスで、ハワード・ジョーンズ博士に直接手紙を書いたところ留学を快諾いただいたのです。ジョーンズ博士といえばアメリカの体外受精研究の第一人者で、茨の道を切り開いた先人です。このチャンスを逃すまいと、諸々の準備を万全に整えて1年後にアメリカへ向かうことになったのです。大学の推薦も自身のコネもなかった私がそこへ行けたことは本当に幸運なことでした。工学部から医学部へ、内科から産婦人科へ、そして日本からアメリカ留学まで、常に多くの人との出会いがあったように思います。
安藤 留学先ではどのような研究をされたのでしょう?
浅田 私が留学したのはジョーンズ博士夫妻が中心になって作った研究所で、アメリカで最初に体外受精に成功した施設です。そこで仲間に入れてもらったのは、スーザン・ランツェンドルフ博士のラボですが、ランツェンドルフ博士は世界で初めてICSI(顕微授精)でヒトの受精卵を作った人でした。ICSIとは体外受精の方法として卵の細胞質内に精子を直接注入するものですが、妊娠例がなかなか出なかったことで彼女は研究を諦めてしまったそうです。ベルギーで世界初のICSI成功例が出たのは1992年。私がアメリカへ渡る1年前のことです。それからICSIがどんどん話題になっていたので、ランツェンドルフ博士にICSIの研究をしたいと申し出たところ、彼女は昔使っていた機械や研究に必要な道具を自由に使わせてくれるだけでなく、アドバイスもしてくれました。そうして私のICSI研究はスムーズに始まったのです。幸いにも工作少年だった私は細かい作業が得意で、研究に欠かせない精子を注入するピペット作りがラボの中で一番上手く、後にランツェンドルフ博士が最初のICSI妊娠例を出した時に使用したピペットも私が作ったものでした。国内でピペット作りからICSIを行えるドクターは私より他にいなかったと思います。
安藤 最先端のICSIを研究するにあたって不安はなかったのでしょうか?
浅田 正直なところ、当初はこんなことをやって本当に良いのかなと思っていました。卵の中に精子を直接入れる時にはおのずと他のものも細胞内に入ってしまうため、それによって何か異常が生じるのではないかと心配でした。それもあって私のICSI研究には、テクニックを向上する面と、その安全性を検証していく面と、常に2つの柱がありました。今では当たり前のことも、当時は自分で工夫しながら検証を繰り返す日々。実は世界の最先端こそ、試行錯誤しているのだと学びました。自分とは無縁の天才が手にするものではなく、手が届くところにあって試行錯誤の中で少しずつ進んでいるものだと。それは現在の私のプライドにもなっています。ただ顕微授精ができれば良いというのではなく、常に最先端の理想を求めてどんどん改善していくことが当たり前という感覚にも繋がっています。現在の私のICSIは、アメリカにいた時の研究や実績がすべてのベースになっています。
安藤 帰国後には早くも大舞台が待っていたそうですね。
浅田 2年間のアメリカ留学から帰国したのは1995年の1月。驚いたのは、体外受精を行っていた大学にはすでに私のICSIを待って下さっている患者さんがいたことです。彼女はすでにあらゆる不妊治療をしていて、ICSIでダメならもう子どもは諦めようと決意していたそうです。早速アメリカから持ち帰ったピペットを使ってICSIを行うことになったのです。私にとってもヒトの卵を扱ったICSIは初めてのことでした。そして2回目のICSIで彼女は元気な双子の女の子を出産。この時、彼女からいただいた手紙の中には「幸せ配達人」という言葉がありました。自分が研究してきたことが人の役に立つのだという証明のようにも感じて、私自身も幸福な気持ちになったと同時に、その言葉通り「幸せ配達人」の一人として、不妊治療専門クリニックを開院する大きなきっかけとなりました。
浅田 人には聞きづらい内容のためインターネットで情報を得る人が多いのですが、そうした心理を利用した不妊症ビジネスが横行しているのも事実です。中には医学的科学的根拠(エビデンス)がないものも多く、極端に言えば1000に対して1の効果でも「効果アリ」としてしまうなど、そのエビデンスレベルも様々です。体外受精は近年急速に発展した分野であるがゆえに、クリニックによって考え方だけでなく治療法も様々です。現在、日本には体外受精のできる施設が600以上もあります。体外受精の実施件数は世界最多だというのに、体外受精による出生率は世界最低レベル。いかにいい加減な治療がされているか、日本の不妊治療の現状が分かります。ネットなどの不確かな情報に踊らされて、大切なお金と時間を無駄にしてしまっている不妊患者が多いのは残念です。何より、患者さんの精神的な負担を思うと胸が痛みます。
安藤 まずは正しい判断ができるよう、正しい知識を身につけることです。
浅田 日本では既に100万人以上が体外受精で産まれている現在においても、いまだに体外受精では障害のある子が産まれると不安に思っている人がいます。しかし、正しい基礎知識を持っていれば、生殖の過程で遺伝子には偶然の組み換えが起こり、結果としていろいろな病気や能力の違いが出てくること、つまり問題は受精の方法ではないということが分かるはずです。そのために、当クリニックで受診される際には必ず勉強会に出席いただくことにしています。卵と精子の役割や、排卵から受精・出生にいたるまで、正しい知識を身に付けた上で不妊症を正しく理解し、我々との信頼関係のもと治療に取り組んでいくことが大切だと思っています。
安藤 浅田レディースクリニックでは明確な治療方針があるのですね。
浅田 とても明確です。まず痛くないこと。私は痛くないのが医療の原点だと思っています。そのため各クリニックには麻酔後の休息に必要なベッドを15〜36台備え、身体への負担をなるべくかけないようにしています。その上で、早く結果を出すこと。それも過剰な治療でなく、「通院を少なく、採卵回数も少なく」という効率のよい治療であること。それには高度な技術と設備、スキルのある医師やスタッフが必要になります。患者さんの年齢や個人差によって、その人に合わせた治療戦略を考え、正しいデータに裏付けされたエビデンスレベルの高い治療を行う。「本当にそんなことをやっていいのか」という研究の原点は、今も変わっていません。だからこそ、当クリニックでは治療の方法や方針もすべて私自身の研究や経験、実績の中で自ら得た確かなものだけを採用しています。
安藤 日本のICSIの第一人者である浅田先生の今後の展望を聞かせてください。
浅田 早く結果を出せる治療で、通院を少なく、採卵回数も少なく、そして痛くないことが当クリニックの特徴ですが、そうした不妊治療が可能であること、行える場所があることを多くの不妊患者さんに知っていただきたいです。体外受精の採卵あたりの受精率は65%と言われる中、当クリニックのICSIでの受精率は85%を越えており、その質は世界一だと思っています。これをより広く安全に行えるよう2006年にはISO9001を取得し、質の高い教育システムによる医師やスタッフの育成にも力を入れています。技術や設備だけでなく、人を育ててこそ良い医療が持続するのだと思っています。また私が考える体外受精の理想は、人生に一度の採卵で一人だけでなく二人目三人目ができる治療です。こうした最先端をいくクリニックとしての責任を果たしながら、幸せ配達人の一人として、より多くの方に向けて幸せな赤ちゃんの誕生と、それによる幸せな家庭づくりのお手伝いをしていきたいと思っています。
浅田義正 医療法人浅田レディースクリニック 理事長 1954年愛知県生まれ。名古屋大学医学部卒業、米国でICSI(顕微授精)の研究に2年間携わり、帰国後1995年に精巣精子によるICSIで日本初の成功例を出す。その後、2004年に不妊治療専門施設を愛知県春日井市で開院、2010年には名古屋駅前で、2018年には東京品川駅前でも開院。
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