社長の自叙伝

社長の自叙伝
2016年10月30日

株式会社ごはん 代表取締役 大島知美

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コシヒカリの産地として知られる新潟・魚沼。ここに有機農法にこだわる米農家がある。その名も株式会社ごはん。代表の大島知美は、自身を「百姓」と名乗り、現場(田んぼ)に立って、土にまみれ、稲の葉をかじる。有機農法への熱い想いに「サムライ日本プロジェクト」の安藤竜二が迫った。

失敗を機に、有機に目覚める

安藤竜二(以下安藤) 株式会社ごはんのある中魚沼郡津南町ってどんなところなんですか?

大島知美(以下大島) 津南は日本有数の河岸段丘(※1)があることで有名です。自然に恵まれ、環境省選定の名水百選「龍ヶ窪の水」があり、水質・土質・気候ともに米作りに最適な土地柄なんですよ。積雪4メートルという豪雪地帯でもありますが、この雪に含まれたミネラルが土壌に浸透し、美味しいお米を作る原点になっています。事実、雪が多かった年ほどお米は美味しいんですよ。

安藤 ご実家はもともと農家だったんですか?

大島 もともと200年以上続く農家で、明治時代くらいまで、田んぼの枚数では魚沼一を誇っていたそうです。私は跡とり息子でしたが、農業高校は卒業したものの、当時は跡を継ぎたいなんて、これっぽっちも思っていませんでした。高校時代はやんちゃばかりして、卒業も危ぶまれたほどだったんですよ(苦笑)

卒業後、一度は就農し、夏は米作り、冬は愛知県に出稼ぎ、という生活を送っていましたが、それも2年でイヤになり、逃亡。十日町でバーテンダーをやったりしながら、アパートを転々として逃げ回っていました。しかしある日、叔父に説得され、ついに年貢の納め時となりました。

安藤 今でこそ「燃える農家」の大島さんですが、当初は決して高い志があった訳ではなかった、と。

大島 当時22歳で、その後2年ほど、親父と一緒に百姓をやった後、私が主導で米作りを始めました。儲かる農業を、と考えていた私は、とにかく収量を上げることを最優先にしました。そのために稲作理論を勉強し、10アール(1アール=10メートル×10メートル)で9俵(1俵=60キログラム)収穫していたところを、12俵収穫することや、肥料の価格も安けりゃいい、味は二の次、という発想でした。

こうやって収量重視の米作りをした結果、土壌は痩せてしまい、再び肥えた土壌に戻すためには、膨大な時間がかかることを後で知りました。私はこの方法で儲かるぞと喜んでいましたが、実はその代償に、今まで代々、冬には家畜の堆肥を田んぼに投入し、土を育て、継続してきたものをたった数年でダメにしてしまったのです。これに気づいた時はとんでもないことをしてしまった、と反省すると同時に、自然と向き合う難しさ、怖さを身をもって知りましたね。

安藤 収量重視だった大島さんが、その真逆とも言える有機農法に興味を持ったきっかけは何だったのですか?

大島 昭和58年、アメリカに農業研修に行ったことが大きな転機となりました。カリフォルニアの農業はスケールが段違いで、7000ヘクタール(1ヘクタール=100メートル×100メートル)もの農地にセスナで種をばら撒くというスタイル。気候と土壌に恵まれ、ほとんど農薬や肥料はいらない。広大な土地の利点を活かした、これぞ効率重視の農法でした。逆に日本の高温多湿な気候は、病気や害虫の発生が多いんですよ。昭和48年に減反政策が始まり、米の輸入なども始まっていましたが、魚沼で10俵とか12俵とか言っているレベルでは、コスト競争しても到底太刀打ちできないぞ、と思いました。

では、味はどうなのかと、アメリカで育てられている米を持ち帰り、町や農協の人たちを集めて試食会を開きました。うちの米と食べ比べてみた結果、票は何と半々! つまり、味も同レベルだと。これではどうやっても勝ち目はありません。

そこで考えたのは、その土地土地に合った農法があるのではないかということ。つまり、日本古来の農業、原点に立ち返るべきだと思ったんです。

当時は「有機」を謳う人は少ない中で、徐々に失った地力(ちりょく)を田んぼにつけるために、有機を取り入れていきました。当時、「江花有機微生物農法」という、化学肥料は一切使わない微生物農法を勉強しながら、有機栽培の方法を独自に模索していました。ちなみに、一度農薬を使った土地で、有機農法をやるためには3年の移行期間が必要。でもその後、1年経っても、2年経っても米は美味しくならない。実際に、地力や地味(ちみ)が表れてくるためには、10年は経たないとダメですね。

平成元年頃、本格的に有機栽培による米作りを開始。当時は有機JASというもの自体がなく、認証も何もなかったのですけどね。そして平成3年、株式会社ごはんを設立しました。

百のことが出来る、それが百姓

安藤 会社を立ち上げたきっかけは?

大島 うちのお米が美味しいと評判になり、名指しで買ってくれるお客さんが増え、とても賄いきれなくなったんです。そこで8人の仲間に農法を教え、同じ米を作ることにしました。しかし収量が増えると、営業担当も必要になってくる・・・ということで企業化が合理的と考えたんです。多くの農家が抱える後継者問題もなくなります。8人のうち賛同した5人が50万円ずつ、残りを私が出資しての船出でした。

その後、生産部門と加工部門、販売部門をそれぞれの別会社にするなど試行錯誤の繰り返し。でも徹底的に有機をやっていきたい私の想いに、スタッフが付いてこられなかったという経緯もあり、紆余曲折を経て、私の理想の米作りを追い求められる環境、現在の株式会社ごはんになったという感じですね。現在、スタッフは約20名。農業高校を卒業した子から元自衛隊員など、20代~50代まで幅広くいますね。

安藤 有機農法ってとてつもなく大変で手間がかかるものと思いますが、必要なものって何ですか?

大島 やっぱり勇気ですね(笑)。有機って取り返しのつかないことばかりなんですよ。楽しみにしているお客さんがたくさんいるのに、病気や害虫被害のリスクは格段に高い。「今年はできなかった」では済まされないんです。毎日休みなく、天気と戦い、雑草と戦い、病気や害虫と戦う。これは本当に勇気がなければできないことです。

例えば、除草作業は有機栽培が抱える問題の一つ。それをいかに省力化できるかを突き詰めた結果、「自走式除草機」を開発してしまいました。今までの除草機はオンかオフの二極といった感じで、かゆいところに手が届かなかった。この除草機は力加減を調節しながら除草でき、稲を傷めにくいんですよ。

害虫対策の一つには、「マガモ」があります。マガモを田んぼに放つことで、雑草や虫を食べ、水をかき混ぜてくれるのです。つまり、田んぼのメンテナンスをしてくれる存在。もちろん生き物ですから、世話が難しく、カモの気持ちにならないとなかなか働いてくれません。その扱いに苦労は絶えませんが、まだまだカモさんの力を借りないといけないんですよ。

稲を育てることは命を育てること。例え自分の足が折れても稲だけは折らない、という気概がないといけない。最近の若い子は稲を「もの」として扱う傾向がありますが、命を扱っていると思え、と教えてるんです。

安藤 まさしく大島学校ですね! ところで大島さんって自分のことを百姓といいますよね?

大島 百姓というとどんぶり勘定、経営ができないイメージがあるかもしれませんが、最低でも百のことができないと務まらないのが百姓。農業の現場で、土にまみれて、葉っぱをかじる。見て、触れて、五感を駆使しながら作物を育てる、それが百姓という職業。銭勘定だけする「農業者」もいますが、それこそ誰にでもできるもの。本当の百姓はそう簡単には務まらない。だから私は誇りと愛着を持って「百姓」と名乗るんです。

科学的なことは正直、よく分かりません。でも何年も稲の葉っぱをかじっていれば、発育状況や米の味、などが想像できるようになってくる。相手はしゃべらない稲。そんな稲がどんなメッセージを発しているのか、こちらから耳を傾けてあげなければいけません。

安藤 大島さんの有機への想いの強さこそが、株式会社ごはんの原動力となっているのを感じました! 最後に今後の夢をお聞かせ下さい。

大島 何と言っても有機農業の推進、拡大ですね。例えば、アトピーの子供が増えていたり、若者の精子が減少したりと、昨今、ヒトの様々な変調を感じます。有機農業を広めていくことで、食を通じて人と地球環境に貢献すること、それが私の使命ですね。これから産まれてくる子供たちには何の責任もないのですから。

そして株式会社ごはんでは、お米の生産過剰対策として、お餅をはじめ、豆腐や味噌、そのほかトマトジュース、苺ジャムなど、お米以外にも様々な農作物を作っています。その全てで有機認定が取れる訳ではありませんが、できる限り有機にこだわり、ちゃんと素材の味がする農作物を目指しています。ゆくゆくは商品をもっと増やして、オール津南産食材で「津南ブランド商品」を作りたいですね。

また、百姓としては、より美味しいお米を作ること。実は私自身、現状の出来栄えには全然満足できていなくて、今までにまあまあかなと思えた「70点」が一回だけ。あとは全て落第点。それでも年々、進化を感じています。今後も天気と戦い、己と戦い、頑張っていきますよ!

※1 河川の中・下流域に流路に沿って発達する、平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れる階段状の地形

 

大島知美
株式会社ごはん 代表取締役


米どころ新潟・魚沼で200年以上続く農家の跡取り。やんちゃな農業高校時代を経て、就農1年目で新潟県農村青年農業技術交換大会稲作部門で優勝し、大器の片鱗を見せる。有機農法に魅せられ、有機の拡大のために尽力。地元津南への深い愛情から、平成19年より町議会議員も務めるかたわら、百姓として今日も田んぼに立つ。文部省認定スキー教師という横顔も。

株式会社ごはん
〒949-8201 新潟県中魚沼郡津南町大字下船渡己5895
TEL 025-765-4834 FAX 025-765-5073
URL http://www.uonuma-gohan.com

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