九州、特に旧薩摩藩領一帯は、『鶏文化圏』といえるほど豊かな鶏の食文化がある。もともと養鶏が盛んであったこの地域で、「南薩食鳥株式会社」は鶏の処理・加工を担う会社として産声をあげた。現社長である徳満義弘は、『種鶏』を扱う専門の会社がなかった時代から鶏の原料調達のため日本全国を駆け巡り、日本に流通させたパイオニアとして、今の会社を築き上げた。現在では、一工場での取り扱い日本一の地位を不動のものとしている。鶏文化とともに、日本一の鶏肉販売を目指す徳満義弘に、サムライ日本プロジェクトの安藤竜二が迫った。
総務課長の名刺を持って営業
安藤竜二(以下安藤) 「南薩食鳥株式会社」のある知覧町と、鶏とはどのようなつながりがあるのでしょうか。
徳満義弘(以下徳満) 「南薩食鳥株式会社」のある知覧町を含む、旧薩摩藩領一帯は、古くから『鶏文化圏』といえるほど豊かな鶏の食文化があります。鶏のたたきや、鶏の煮しめなど、今でも正月・お盆の定番料理として食卓にあがります。特に南九州一帯ではスーパーにも鶏の刺身やタタキが売られているほど、新鮮な鶏肉が気軽に楽しめます。九州は、鶏の産地でありながら、一大消費地でもあるという全国でも珍しい地域だと思います。そのため、鶏の消費量も全国の中でも上位を占め、美味しい鶏を見分ける力が備わっているのです。芋焼酎との相性も抜群で、焼酎も鶏料理とともに、ここ薩摩では長く愛されていますよ。
安藤 鶏の刺身がスーパーに売られているというのは全国でも珍しいのではないでしょうか。徳満社長と鶏肉の関係は、いつからはじまったのですか。
徳満 私の出身は宮崎県の都城市で、養鶏が盛んな地域でもあります。実家が養鶏業を営んでいたということもありますが、現在の「南薩食鳥株式会社」の元・親会社である児湯食鳥に入社したのがきっかけで、「南薩食鳥株式会社」に出向という形で経営に携わることになりました。翌年には、現在の基幹事業の一つである「種鶏」の取り扱いも始めました。1995年(平成7年)先代より引継ぎ、二代目社長として就任しました。
安藤 そもそも「種鶏(しゅけい)」って、本州の人間には初めて聞く名前ですけど、どういうものですか。
徳満 種鶏とは、ブロイラー(肉用鶏)の親鶏のことをいいます。鶏は、生後半年から卵を産めるようになり、約9ヶ月間、卵を産み続けます。それ以上経過したものを「種鶏」といい、食用として利用します。通常、ブロイラーの飼育日数が約50日であるのに対し、種鶏は9倍にあたる450日以上の飼育日数をかけています。一般的に肉の旨味は飼育期間が長いほど増すといわれていますので、鶏本来の旨味と歯応えを味わうことができるのが、種鶏です。また、日本にブロイラーは6億5千羽に対し、種鶏は500万羽と、貴重な鶏であるために、あまり世の中に知られていないのが現状です。
種鶏500万羽のうち、約40%が、実は関連会社である株式会社エヌチキンで処理・加工されています。主な流通は九州のみで、例えばここ鹿児島では「刺身」「タタキ」「煮しめ」、宮崎では「もも焼き」として食されています。ただ、この美味しさが全国に伝わりきれていないのが現状なのです。今後、種鶏のきちんとした価値と共に、ぜひ全国で展開していきたいと考えております。
安藤 僕もはじめて食べて、美味しさに驚きました。噛めば噛むほど出てくる旨味・コク、そして歯応えに感動しました。そもそも、「種鶏」を取り扱い始めたきっかけは何だったのでしょう。
徳満 先代社長の鶴の一声です。先代社長が本来あるべき鶏の姿である「種鶏」の価値を早く見出し、美味しいものを作ろう、きちんと供給しようと事業として着手しました。先代社長の要望は「種鶏を生(冷蔵)で売れ!」と。正直、無茶だと思いました。なんせ、種鶏は原料ありき。仕入れがないと始まりません。また、賞味期限の早い生で提供している会社は当時ありませんでした。冷凍が常識の世界だったのです
そもそも、「種鶏」だけを専門に扱う会社が世の中に無かった時代。安定供給できないから、無理だと言っても「やれ」の一言。「なにくそ!」と思って取り組み始めたものです。もともと、大学も商業大学出身で、経理畑を歩んでいたのですが、当時は少人数の会社だったため、「総務課長」の名刺をもって日本全国、原料になる種鶏探しのために必死に飛び回る毎日でした。
安藤 先代の一言が徳満社長の心に火をつけたのですね。営業の中で一番大切にされたことは何だったのでしょうか。
徳満 当時、東北で営業をしても「九州まで持っていっても採算が取れないだろう、キレイごと言ったって長く続かないだろう」と厳しく言われたこともありました。確かに、今でも採算が合わないことも多々あります。ただ、「100の販売に対し、120の仕入れをすること」が大事。これは今でも徹底して行っていきたいことの一つです。仕入れを抑えるということは絶対にしたくありません。なぜなら、約束を必ず守ること、安定供給をすることによって信頼関係を構築してきたのです。
ライバルにはできないこと=種鶏を冷蔵で販売すること、そして安定的な供給をすることを信念とし、種鶏の業界を牽引するパイオニアとしての地位を築いてきたと自負しております。
そして何より大切なことは、『人の縁』。初代社長との出会いも縁、この仕事を諦めずにやって来られたのも縁。人との出会い、縁を大切にすることが会社経営の根本にあり、そして今の会社があると思っています。新しいことに挑戦していくこと、経験から学んだこの想いは、常に社員にも共有し続けています。
「九州から日本全国、世界へ」新たな挑戦
安藤 大変な苦労があって、そしてお客様との信頼を築いて、今の南薩食鳥株式会社ができあがったのですね。現在の取り組みについてお教えください。
徳満 現在の基幹事業のうち、「種鶏」が6割を占めております。南九州一帯では「味なとり」というブランドで、スーパーや百貨店に卸したり、鹿児島中央駅地下に専門店を設けるなど、九州一帯では広く認知されていると思っております。ただ、九州だけに限られてしまっているのが現状です。東京や名古屋、大阪への販路を広げ、この美味しさと九州の鶏の文化を一緒に広めていくことが、私の使命だと思っております。
また、台湾・韓国・香港などアジアを中心に輸出入にも力を入れております。海外からの研修生の受け入れや、英語・韓国語の話せる社員の雇用まで、グローバルな時代に合わせた展開も視野に入れております。
現在、鹿児島県に2箇所、宮崎県に1箇所工場をもっており、生産ラインの効率化を図っています。ただ、最終的には人の目を注ぎ、脂ののりがいいものだけを市場に回すようにしています。衛生面、品質管理も徹底し、公的検査員、食品衛生管理者も配し、ISO9001も取得しました。また、鶏を安心させる集荷フォームや、公害問題など、全てにおいて気を配っております。
安藤 美味しいことはもちろん、安全・安心な食文化を次世代につなげていくためにはとても大切ですね。今後はどんな挑戦をされていきますか。
徳満 リーマンショックや、鳥インフルエンザ・口蹄疫の問題も発生し、食肉業界は打撃を受けています。また、少子高齢化が進む社会の中で、消費量が落ちているのが現状なのです。ただ、業界の当たり前を当たり前とせず可能な限り挑戦していくという姿勢を取り続けていきます。その一つが、2011年から新たに着手した「ハラール事業」なのです。
安藤 ハラールというのは、戒律の厳しいイスラム教徒向けの食事ですよね。なぜそこに挑戦することにしたのでしょうか。
徳満 日本人は、鶏肉の部位の中で、モモ肉を好んで食べる傾向があります。対して、アメリカ人はムネ肉を好むのです。そうだ、アメリカに持っていこう、と。ただ、アメリカは輸出入の審査がとても厳しい。だったら、中近東はどうだろう?と思ったのがきっかけです。当時、輸出入も始めており、海外へ行く機会が増えたことも関係あります。様々な世界状況も見ながら、「ハラール」への取り組みを決めたのです。
ただ、そこからが大変でした。そもそもイスラム教徒にとっては、ハラールの食品のみを口にすることは神の教えに忠実に従うこと、すなわち信仰そのものなのです。
イスラム教徒の屠殺人がいること、鶏肉となる鶏が何を食べているか、1年に1度の検査・指導など、衛生基準も含め、とても厳しい審査がありました。無事、2011年、ハラール認証が下り、2012年には専門の工場も新設し、新たな事業として始動していきます。
安藤 その発想力がすごいですね。総務課長からはじまった種鶏が、世界に羽ばたいていきました。現状に留まらず、常に挑戦し続ける徳満社長。今後の展望をお聞かせください。
徳満 「種鶏を処理する」という業界は認知度は低いけど必要な業界であると思っております。業界の地位向上、業界を残していくためには、他社をライバル視するのではなく、お互いがネットワークを組んで、業界全体を盛り上げていくことが必要だと考えております。
また、日本全国へ九州の鶏文化と共に、「種鶏」の歯応えとコクが特徴のこの美味しさを伝えていく。認知度のアップや流通網の拡大など、使命感を持って取り組んでいきたいと思っております。もちろん、海外への市場の拡大も含め、企業としても成長していきたいと思っております。
将来的には、BOPビジネスにも参入したいと考えております。日本ではまだ取り組みをしている会社が少ない中、世界中で約40億人いると言われている低所得層にも購入可能な商品、手の届きやすい価格で、余すところなく種鶏の価値を届けていく、そんな仕事に挑戦していきたいと思っております。鶏で世界を結び、世界に貢献していきたい。私は、その請負人になりますよ。
徳満義弘
南薩食鳥株式会社 代表取締役
1980年、会社再建の為に出向という形で、南薩食鳥株式会社の経営に参加。ライバル会社が成し得なかった、「種鶏の安定供給、冷蔵での提供」を実現し、業界のパイオニア的存在に。グループ初の若手取締役に就任、社長代行を経て、1995年、代表取締役に就任。「幸福創造企業」を経営理念とし、若手の育成から海外へ向けた輸出入やハラール事業など常に新しいことに挑戦し続けている。
南薩食鳥株式会社
〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧郡3635
TEL: 0993-83-2086 FAX: 0993-83-2804
南薩食鳥株式会社オフィシャルサイト URL http://www.nansatu.co.jp
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